MENU

中国占術と占星術の紹介

占星術編

1.西洋占星術
2.インド占星術
3.中国占星術
4.チベットの占星術
5.日本の占星術

 

 

占星術・・・ホロスコープ占星術

 

占いのなかで、最もポピュラーなのは血液型と星座占いであろう、新聞や週刊誌やTVのワイドショー等ではもはや定番となっている。自分の星座が何座であるかを知らない人を探す方が困難なくらいに一般に定着している。
しかし、星座占いが占星術の太陽宮という1技法のみを取り出した極めて簡略化されたものであることは、星座占いの定着度とはうらはらに、ほとんど知られていない。

 

本来の占星術は、その人が生まれた瞬間における太陽系の太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・冥王星等の各天体が、黄道12宮(太陽の見かけ上の軌道を12分割したもの、12星座)上の位置を計算し、さらに生まれた場所から、各天体が地表上からどの角度に位置したかを算出する極めて細密な技法である。これを図表として表わしたものをホロスコープと呼ぶ。ここでは西洋占星術と、各地に伝承する占星術のいくつかを紹介する。

 

 

1.西洋占星術・・・・占星術の横綱

占星術といえば、一般には西洋占星術のことをさすぐらいに、他の占星術と比較し、その人口・普及度・研究文献等に関して圧倒的なシェアを誇る。占星術師といえば西洋占星術師ことを指すといっても過言ではない。
実際に、西洋占星術以外にもホロスコープ占星術が存在することを知らないプロの占星術師すら存在する。
− 西洋占星術の歴史 −
現存する最古のホロスコープは、古代バビロニアものである。しかし当時の占星術は、国王や国の未来を予見するものであり、占星術が一般の個人の運命を予見するようになったのは、紀元前3世紀頃に占星術がバビロニアからペルシャを経てギリシャへ伝わってからである。
占星術が個人を占うものとなったギリシャ占星術は、庶民の間で広まり発展しより精密な技法となっていった。そして2世紀に大天文学者トレミー(ブトレマイオス)が、煩雑であったそれまでの占星技法を体系化し「テトラビブロス」という最古の占星術のテキストを著わし、占星学としての体系化がなされた。トレミーは古代天文学の集大成である「アルマゲスト」を著わした人物であり、古代においては占星術と天文学が不可分の関係であった。

 

ギリシャで体系化された占星術は、ローマ時代を経てヨーロッパ各地へと広がっていく。占星術は17世紀ごろまでは天文学と対をなす学問であり、ドイツの偉大な天文学者ヨハネス・ケプラーも天文学者であると同時に占星術師であった。

 

 

− ホロスコープを構成する要素 −

 

・黄道12宮

 

(牡羊座、牡牛座、双子座、蟹座、獅子座、乙女座、

天秤座、蠍座、射手座、山羊座、水瓶座、魚座)

 

 

・天体

 

(太陽・月・水星・金星・火星・木星・土星・天王星・海王星・

冥王星・ドラゴンヘッド・セレス・キローン等)

 

 

 

上図はMIIBOAT−Tool by 岡庭 加奈 著『占星学教室大百科』より、
著者の岡庭加奈さんの許諾を得て使用させていただいております。

 

 

2.インドの占星術・・・・ヴェーダの占星学
近年注目を浴び始めているのがインド占星学である。
インドの占星術は、ヴェーダの占星学であり膨大なヴェーダの体系に属す、近年インドの伝統医学として脚光を浴びているアーユル・ヴェーダとも密接な関係があり、実用としての占いの姿を今日に残している。
かってギリシャ時代では、黄道12宮の起点は牡羊座の0度であり春分点と等しかった。しかし地球の歳差現象によって、春分点と実際の星座である牡羊座は毎年50秒づつのズレが生じ、今日では約24度程ものズレが生じている。
西洋占星術では、春分点を黄道12宮の起点とするトロピカル方式が主流であるが、インド占星術では実際の天体である羊座の0度を起点とするサイドリアル方式が主流である。アスペクトについてもケプラー以前の12星座を単位とする方法を伝承しいる。
また、カーラ・チャクラといわれる西洋占星術のホロスコープに相当するチャート以外に、ナバムシャ・チャクラという各星座を9分割図を作成するのが特徴である。

 

 

3.中国の占星術・・・・七政四餘(陰陽五行説との融合)
インドで発展した占星術は密教とともに中国へ伝えられ、中国の天文学と融合し中国占星術が生み出されたと考えられる。
中国の占星術は、陰陽五行説と融合し独特の占星術「七政四餘」(参照:中国占術・推命編「七政四餘」)を生み出した。惑星・12星座・12宮(西洋占星術のハウスに相当)等の要素に加え、中国占術独特の五行の相生相剋や月令(季節)の概念が付加されている。
中国占星術に関しては、中国占術・推命編の「4.「七政四餘」・・幻の中国占星術。」の項を参照してください。

 

 

4.チベットの占星術・・・・ラマの占星術
チベットの占星術は、チベット本来の民族信仰であったボン教に、「摩登伽経」等の仏教と共に伝来した密教占星経が融合し、チベット独特の風土のラマの密教占星術が成立した。
チベットの占星術は、密教占星術として限られたラマ高僧達にタントラ秘密儀軌の1つとして伝承された。
密伝ラマの占星術書として、以下のようなもの伝えられる。
「占星要門」(ダルマ・シーラ著)
「占星術清浄鏡要集」(スン・パ・ケンポ著)
「占星術宝蔵略集清浄鏡」(同上)
「有徳者清浄占星儀軌」(同上)
この「占星要門」を読むとチベットの占星術がインドの影響を受け、また六十干支等の中国暦の影響も受けつつもチベットの風土に密着した占星術が、ラマの高僧達によって行われていたことをうかがわせて興味深い。

 

 

5.日本の占星術・・・・宿曜道(すくようどう)
日本にもホロスコープを作成する精密な占星術がかって存在した。
日本へ密教と共に伝わった「宿曜経」等の密教占星術は、宿曜道と言われ宿曜部で研究された。驚くことに、この宿曜部で書かれた宿曜勘文という、1000年前の平安時代の占星術師によって書かれたホロスコープが今に現存している。
この宿曜勘文には、太陽・太陰・水星・金星・火星・木星・土星・羅候星・計都星の九曜の天体の位置が、黄道12宮上の何度にあったかが算出されている。

 

この宿曜道の宿曜師達が、宿曜勘文というホロスコープを作成する為にテキストとしたのが東寺の僧宗叡が唐より請来した「七曜攘災決」である。
「七曜攘災決」はその後半部分が、五惑星の運動をパターン化した図表により惑星の位置を推算するものであった。

 

宿曜道は平安時代の貴族に大変好まれたようで、その貴族に子供が産まれると宿曜師を招き、生まれた子供の出生日からその子の一生を占った。

 

宿曜占法も、このころは各天体の位置を計算し、ホロスコープを作っていたわけである。しかしながら、この占法は各惑星の軌道計算が、あまりにも当時としてはわずらわしく、しだいに衰退していった。
そして、生れ日の28宿で判断する、今日の簡略化した宿曜占法となったのであろう。

 

 

戻る>>>